DeST2018取材レポート① 農×政治!?~時代の変化に対応するのではなく、変化を作り出せ!~(高橋金一さん)

DeST2018取材レポート① 農×政治!?~時代の変化に対応するのではなく、変化を作り出せ!~(高橋金一さん)

2018年12月8日、明星大学デザインセッション多摩(DeST)2018が開催されました。明星大学デザインセッション多摩は、「多摩エリアにおいてどういった学生を育てていけばよいのか?」「地域と関わっていくことができるのか?」ということを模索するため昨年から明星大学において行われているセッションです。今回は、「都市農業」をテーマとして農家、自治体職員の方々など様々な立場の方が集まり意見交換をすることで、何か新しい芽が生まれるのではないかということを目的としています。

今回は、ぽてともっとのメンバーがセッションに参加しながら、その様子やお話の内容をレポートします。取材レポートは①~④の4編構成で掲載いたします。②~④の記事は、以下からご覧ください。

① 農×政治!?~時代の変化に対応するのではなく、変化を作り出せ!~(高橋金一さん)
② 農の力で多摩は世界一住みたい都市になる!(小野淳さん)
③ 新規就農のススメ!(舩木翔平さん)・暮らしと農の近い町国分寺(南部良太さん)
④ 地域×デザイン!(江藤梢さん)・生ゴミを活用したコミュニティー農園(佐藤美千代さん)

高橋金一さんプロフィール

小金井で農業を営む生産者。JA東京中央会特別顧問・小金井市農業委員会会長を兼任。全国各地の農家、新規就農の方々を応援し、時には永田町で大臣に農政について提言するなど政治にも精力的に関わっています。トークセッションでは、戦後の多摩エリアの農業について法律も絡め非常にわかりやすく説明してくださいました。

未来の都市農地の姿はクラインガルテンにある

1990年、高橋さんは、再統一されたばかりのドイツで農家が集まる経営者クラブという会に参加した際に「クラインガルテン」という集合型市民農園と出会いました。クラインガルテンとは、ドイツ語で小さな庭という意味の言葉で、9世紀にドイツで開設された集団型・賃貸型の市民農園のことを指します。ドイツ人のシュレーバー医師が、都市化に伴う劣悪な環境下に置かれた労働者や子供たちのために自然と触れ合う必要性を提唱したことから広まったため、シュレーバーガルテンとも呼ばれています(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)。もともと食糧難対策として始まったものでしたが、現在では主にリタイアした方々が庭や畑のように使用しています。

 そこで高橋さんは、東京近郊の農地をクラインガルテンのように活用することにより、「仕事をしたあと週末は農地で過ごす」「ある程度の時給を生産物で賄える」といった利用を提唱しています。東京でもクラインガルテンのようなスペースを設けることができれば、これからの健康社会を考えていく上で良い方法かもしれないと考えているそうです。

 しかしその実現のためには、まだまだ法律や制度の整備が必要で、それを考える上でもまずは歴史を学ぶ必要があります。

経済成長の中で姿を消した都市農地

戦後の都市農業の歴史を振り返るうえで重要な転換点となったのは、昭和22年(1947年)の農地改革、昭和43年(1968年)の都市計画法制定、昭和45年(1970年)の地価高騰が挙げられます。

(1) 昭和22年(1947年)の農地改革

GHQによる戦後日本の民主主義化政策の一環として、この年、農地解放が行われました。しかし, 田畑を里の方々に振り分ける形で行われた「地方の農地解放」とは違い、東京では平地・山も含めた特殊な農地解放が実施されました。この農地解放を受けて、小作の方々の中には、先に農地を売却してしまう人も出てきました。一方で、本家・地主だった人々を中心に、残った農家が農地を残していく取り組みをはじめました。ここからだんだんと農地・土地の奪い合いが始まっていきました。

(2) 昭和43年(1968年)の都市計画法制定

都市計画法が出来上がり、市街化区域と市街化調整区域に分けられる時代が来ました。市街化区域内の農地所有者は10年以内に農地を宅地化するように促されました。これにより、農家はまた農地を売却していきました。

(3) 昭和45年の地価高騰

この年、相続税が異常に高くなったため、跡継ぎでただ農地を所有するだけでも億単位の金額が必要になりました。このため、やむを得ず農地を手放さなければならない人も出て来ました。しかし、その後の農政運動の成果もあり、相続納税猶予制度ができ、ようやく農地を残せる時代が到来したかに見えました。

しかしながら、現実には「都市の中に農地があることにより、高度経済成長などにより地方から来た方々の住宅が作れない」といった外圧もあり、農地は減少していきました。

都市農業が制度的にも見直されるように

戦後の経済成長が終わりを迎え、郊外の宅地化に一定の目処がつくようになるなかで、都市農地に関する法制度に変化がみられるようになってきました。

(1) 平成11年に改正された新たな農業基本法

平成11年頃に農業基本法が大きく改正されました。元々の農業基本法は昭和36年にできたものでしたが、その中に「都市農業及び」と言う文言がようやく入ったのです。このことにより、国家として多少なりとも都市農業を受け入れる体制になりました。しかしながら、依然として、経済を回すためには10年以内には都市の農地を宅地化すべき、と言われ続けていました。

(2) 都市農業振興基本計画

 自民党から民主党への政権交代の際、高橋さんは農林水産省に設けられた都市農業を研究するセクションに依頼して研究会を立ち上げ、様々な研究を行いました。その最中に成立した都市農業振興基本計画を転機に、「都市に農地があってもいい」というスタンスの政策に大きく変化しました。この基本計画に基づく都市農地の貸借の円滑化に関する法律が2018年9月から施行されており、地方だけでなく東京でも農地(生産緑地)の貸し借りができるようなりました。

(3) 現状の税制度

 現状の都市農地の制度には、主なものとして生産緑地制度とその特例となる相続税納税猶予制度があります。生産緑地は宅地に比べて固定資産税が安い(300坪あたり一千数百円、同面積の宅地は数百万円)反面、土地に住宅を建てたり人に売ったりはできません。このように、利用方法や売買の権利は制限されますが、農業をするためなら安い課税額で済むという制度なのです。相続税納税猶予制度は終生農業をすれば相続税の納税猶予を受けられるというものであったので、途中で病気になり農業を続けていけなくなると大変でした。しかし、都市農業振興基本計画に基づく新たな法制度が整えられたことにより、安心して農業を行うことができるようになりました。

時代の変化に対応するのではなく、変化を作り出せ

 この言葉は朝ドラでも話題の安藤百福さんの言葉です。一通り歴史を振り返った後、高橋さんが強調していたのはこの言葉でした。現在、農地に関する法律は整備されつつあります。したがって、既存の法律や制度をどう使いこなすか、という部分が重要になってきているのです。そこで重要なのは、少子化・人口減少社会など、暗いイメージで語られることが多いこれからの社会を逆手に取り、「土地を広く使える」「有効利用できる」といったように可能性があると考えることです。

 人の土地をうまく利用するだけでなく色々なアイデアを活かすことでより豊かな社会を目指すことができること、また、歴史を振り返ってみると、農地を億単位で売ることができる時代があったにも関わらず農家さんたちが農地を残してくれたことに感謝しなければならない、とおっしゃっていました。